明日の私は別の人

昨日の私は一体何を考えているのだろうか。

自分の思うことを書いてみようと思った。

端的に言えば、「もっと思ってることを自由に書いてもいいんじゃないのか」という衝動にかられたので、知り合いも誰もいない場所で、いろいろ書いてみようと思った。

私がまだ小学生や中学生だった時分に比べて、息苦しい世の中になったように思う。
インターネットの普及とともにコミュニケーションの取り方が変わってきて、LINEのような「即時性」が求められたり、Facebookのような「友達の友達」というつながりが出てきたり、なんだか面倒だなと思うことが増えた。
面倒くさがりな私の性格や、大人になるにつれ周囲との関係性が変わってきたことも一因なのだろうが。

幼いころに見たインターネットの世界は、もっと自由だったように思う。匿名性が高く、まるで仮想の世界のようなものだった。
しかし今は、実際の知り合いとの交流を目的としたサービス(SNS)が増えた。実名を使ったり、顔写真を載せたり、友達の友達で知り合いを見つけたり、いわゆる「リアル」の関係を持ち込むことが当たり前になってきた。
SNSを使って知人友人と交流する機会が増えるにつれ、インターネットが狭くなったように感じた。
特に友達の友達を紹介してくれる機能は、「知りたくなかったあの人の情報」までうっかり見てしまうことができる。だから余計に息苦しさを感じているのだ。
結局そういったSNSは、使わないと困る状況以外は封印することになった。使いたくない人は使わなければいいのだ。
しかしそう主張しても「使っていて当然」と言わんばかりに使用を求められるときもあって、辟易したことは一度や二度ではない。

長くなったが、私はインターネットの世界を、周囲の人間関係にとらわれない自由な場所にしたくなった。
別に「質のいい記事」を目指すわけでも、「1か月で〇〇PV」を目指すわけでもない。
本音を言えば、鬱になりがちな自分の気持ちを軽くするための自己満足にすぎない。

明日の私が読んで、「こんなこと思ってたのかよ私……」なんて思えたら僥倖だ。

 

■追記
「私」に心当たりがある友人知人各位。
次に会った時にでもそっと触れてやってください。ばれたものは仕方がない。

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